道理と理不尽のはざまで

北海道と九州でいじめが原因として自殺した事件が
最近テレビを始めとしてマスコミでクローズアップされている。
愛する子供を理不尽ともいえる理由で失った両親の心中にあるであろう
憤りと悲痛はいかばかりものか。
余人には察することのできない量と深さを有することを思えば
同情の念に絶えず、仄聞する事件当事者のずさんさと人間性の欠如に
怒りが込みあげてくる。



ただ、それでもこの種の報道で教育委員会や学校を
一方的に悪者として報道するのは間違っていると個人的には思う。
マスコミが大きく取り上げることによってしか
検察や警察が動かないという状況ならば、致し方ない事由もあるだろうが
自殺した人間を100パーセントの被害者として祭り上げて
学校や教育委員会を攻撃しても
この種のいじめや自殺はなくならないからだ。
勿論、反社会的な行為や犯罪については
それ相応の処罰や社会的制裁があって然るべきだが
それは警察や検察の仕事であってマスコミの仕事ではない。




多少酷薄なもの云いだが、自殺した理由がいじめだったにしろ
それは"私的"な理由であり、"公的"な理由で死を選ぶ自決とは異なる。
精神的に追い詰められた少年少女に自殺以外の手段を選べというのは
難しいかも知れないが、いじめが理由なら自殺以外にも
解決方法はあったはずだ。
両親に相談できない悩みだったかもしれないが、
両親は本当にその日までいじめに気がつかなかったのか、
或いは気づいてなんらかの手段をとろうとしたのか、
いじめを解決する手段しては、登校拒否、転校、教育委員会への告発
警察への相談、告訴など執るべき手段はいくらでもあったと思う。
それらは、現実を知らない第三者の浅知恵かも知れないが
現実にそうした手段で自殺以外の解決方法を見出した例もある以上
学校や教育委員会を犯人と見立てて責めても問題の解決に繋がらない。



ここで両親の過失を問題するわけではないが、
なにより私が一番自殺を認めない、或いは認めたくない理由は
同じような理由で自殺する人間が出てくることを恐れるからである。
自殺が契機となって危害を加えていた側の人間が叩かれるとするならば
その姿を見て同様の想像して爽快感を覚える類の人間がいることを
テレビ局やマスコミは考えたことがあるのだろうか。
追い詰められた人間というものは短絡的な行動をとるものだ。
特に、現代の日本はキリスト教国家と違い自殺を禁忌とする歯止めがなく
死んだら無条件で天国に行くという無国籍な死生観がはびこっており
自分をいじめた人間が攻撃に苦しむ姿を空想して
それを誰も実行に移さないとは限らない。
マスコミは、今の報道姿勢が
第二第三の自殺を誘発する危険性を認識するべきだ。



社会的な弱者を攻撃する卑劣漢は許しがたいし
それ相応の制裁を加えるのにも同意する。
ただ、どんな理由があるにせよ物事を解決する手段として
自殺を選択するのは誤りである。
死んだら負けー教育委員会を攻撃するならばそうした警鐘を鳴らせ。