大地の咆哮


大地の咆哮 元上海総領事が見た中国



病魔に冒され余命半年と宣告された元上海領事が
上海領事館電信員自殺や靖国問題など象徴されるように
きしみつづけ悪化を辿る一途の日中関係を憂えて
著した渾身の書。
著者は、外務省入省後、中国の瀋陽遼寧大学で中国語を学んだ
いわゆるチャイナスクール出身だが、加藤紘一のような媚中派と呼ばれる集団と
一線を画して分類すべきかと個人的には思う。


産経新聞の古森氏も「日中再考」等の著作で指摘していたが、
日本の対中国ODAは、その金額に見合うだけの感謝を中国側から得られていない。
北京空港の整備などは約700億円のうち約300億円に日本の円借款が使われたというのに
中国側は感謝はおろか、日本の企業が工事して儲けているのだから、お互い様だといい
当初、 その事実を示すプレート1枚設置していなかった。
そうした現象が起きる理由について、地方政府などの整備要望を
中央政府が審査する中国側のシステムに問題があることを指摘している。
つまりこれまでの借款では制度上、施設などの享受者が謝意を表するのは
悪意のあるなしに関わらず日本ではなく中国政府となってしまうのだ。



現在、上海の長江デルタは日本を含め国外からの投資が盛んであるのは
人件費が安いのに加えて、水道、電気、交通などのインフラが整っているからであり
日本の円借款が使われたたまものといえる。
経済的にも半ば自立した上に、中国政府は、軍事費の予算を毎年10%以上のばし
また第三国への経済協力等も実施している現状が認識されるにつれて
対中ODA不要論も日本国内から起こっているが
現実に中国では教育、環境、衛生などの社会保障の分野が極端に立ち後れ
社会的な弱者(農民)は切り捨てられているに等しい状態にある。
円借款のプロジェクトを含めた都市の大規模なインフラ整備で
中国の富裕層や都市生活者はますます豊かになったが
戸籍の関係で都市で生活することができない農民は貧しいままであり
低額の社会保障費や教育費に加えて地方政府やその下位の自治体から様々な名目の税金、
そして環境汚染が彼らをさらに窮迫した生活へと追い詰めている。
中国国民10億以上の大半を占める農民は依然貧しいままであり、
また社会のあらゆる階層で勝ち組、負け組の二極化が著しくなり
社会的矛盾が大きくなり看過できないレベルまで達しているのが
中国の現状だと著者は指摘している。


文革以前は、社会保障の役割を担ってきたのは"族"と呼ばれるそれぞれの単位社会だが
近年になりそれらが国家の担当になるとそれらは全く機能しなくなった。
それでも都市に住む住人はある程度の保障は受けられるが、
農村には教育、健康、福祉などの予算が全くといっていいほど回されず
義務教育が建前となっているにも関わらず授業料等が払えない、
地域に学校がない等の理由から教育を受けられない就学年齢の児童が多数存在している。
著者は、大規模なインフラ整備に日本の円借款を使うのではなく
地方政府のそうした低額の事業について投資することを提言し実行してきた。
低額であるが故に小規模な施設ハコばかりだが、
"日中友好"と冠して整備した学校等は後に大きな利を日本にもたらすと著者は述べている。


農民を苦しめる一因ともなっている中国の環境汚染と水不足は悪化の一途を辿り、
国土の砂漠化は進み、北京市郊外10数キロまで迫っている。
無計画な水の利用であの長大な流れの黄河ですら干上がることがしばしばあったという。
南の都市では、ふんだんに水を浪費する生活者が増える一方で
北の農村では農業用水はおろか安全な飲み水すらままならない。
さらにそのわずかな水すら都市生活者の生活用水や工業用水のために奪われようとしている。
レスター・ブラウンは前世紀末に21世紀は水を巡った戦争勃発の可能性を警告したが
中国国内でそれらは近いうちに現実のものとなるかも知れず
中国に投資する際は、階層化する社会の危険性に加えて水資源などのインフラについても
リスクを勘案する必要があることを著者は述べている。


そうした現代中国の経済や環境にまつわる問題もさることながら
一番の懸念材料となっている靖国問題を始めとする政治についても考察が行われている。
中国側が靖国に反対する理由についてであるが
それは共産党の存在理由と密接に関わりがある。
日本軍と戦って勝利したことが中国共産党が支配者であるという論理を掲げているため
これらの虚構を崩すような言動を認めることができないでいる。
つまり友好条約を締結する際に損害賠償を放棄する理由として、
日本軍が軍国主義者(=A級戦犯)に操られていたから日本人は悪くないというロジックが存在し
A級戦犯が祀られている靖国を日本国の首相が参拝することを看過するわけにはいかないのだ。
日本側も、中国にいうがままに参拝を中止すれば、
国内の反中意識がより強硬になることは勿論のこと
経済のためには、何でもいうことをする国と侮りをうけ、
中国以外の国から軽んじられ、謂われのない言いがかりを付けられるようになるだろう。
靖国問題は、感情論ではなく非常にデリケートな課題を内包しており
著者自身も解答を見つけられないでいる。
都市で教育を受けた人間はともかく、
地方の農民にとって憎むべきは、日本ではなく共産党であることも珍しくないが
共産党の正当性を示すというより蛮行を隠すため必要以上に
日本軍を悪辣に描き教育を行った結果とはいえ、
振り上げた拳を下ろせず共産党は苦しい立場に追い込まれてしまった。
靖国を御注進した朝日新聞としては皮肉な結果ともいえる。


国内的に締め付けを行い強力な中央集権体制が整っていると見られがちな中国であるが
地方政府は中央の指示に従順に従っているわけでなく、
また解放軍も不穏な力を見せている。
国外の報道がニュースにしたAIDS村の対策についても中央政府の意向を
地方政府がひっくり返すようなことは日常茶飯事で起きているし
先の反日暴動でも、上海では共産党以外の何物かが統制したフシが伺えるという。


中国から援助の手を引いて隔絶し、外交も限定したもにすることは簡単だが、
その結果北朝鮮のような閉鎖国家になってしまえばその脅威は、並大抵でない。
厄介な存在だが、隣国である以上、中国と上手く付き合っていかねばならず
中国を豊かにして民主主義側に取り込んでコントロールしようというのが
著者の基本的な考え方のようである。
確かに教育や医療分野はいざしらず、環境汚染は日本も他人ごとではいられない。
中国の汚れた大気や水が、確実に日本にもダメージを与えているからだ。
しかし、中国は多数の矛盾とフィクションを内包して成立している国家であり
民主主義を取り入れることはおそらくないし、
それを取り入れた瞬間に共産党の支配は終わりを告げるだろう。
虐げられた農民を助けるとともに草の根で日中友好を広げて
中国政府に様々な社会的矛盾を突きつけて是正させようというが著者の狙いの一つであるが
その矛盾を容易に矯正できるとは私には思えない。
現在、GoogleやYahooの検索機能も特定の言葉には反応しないようになっているのは
中国共産党が"インテリジェンス"が一般に広まるのを恐れているに他ならないからだろう。
中国の貧しい農民を如何に救うか。環境汚染をどうやって食い止めるか。
共産党支配をどのうように時代に適合させていくか。
難しいミッションが日中関係には横たわっている。




日中再考 (扶桑社文庫)

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