拝啓ヨハン・クライフ様


http://www.nikkansports.com/soccer/p-sc-tp0-20060916-90620.html

本協会は15日、東京・文京区のJFAハウスで理事会を開き、羽中田(はちゅうだ)昌氏(42)ら11人をJFA公認S級コーチとして承認した。羽中田氏は山梨・韮崎高時代にFWとして全国選手権で2度準優勝を経験。しかし、卒業後に交通事故で下半身不随となり車いす生活を余儀なくされていた。S級は日本協会が定める指導者の最高資格でJリーグ監督就任の必要条件になっており、身障者としての取得は初。


日本サッカー界に車いすのS級コーチが誕生した。羽中田氏は現在、東京・暁星高のコーチを務めている。19歳時のバイク事故で下半身不随。そんなハンディに打ち勝っての資格取得は、日本はもとより世界にも例を見ない。「今までいろんな人に支えられてきた。あの人にも、この人にも、取れたよって伝えたい。私一人のものじゃない」と喜びを語った。


車いすというハンディゆえ、講習会でも人一倍苦労した。コーチ実技ではアシスタントコーチをつけて対応。追試を受けた末の合格だった。「車いすだから移動距離も少ないし、スピードも遅い。だから事前にアシスタントとよく打ち合わせ、工夫を凝らした」と言う。体は動かなくとも、言葉に勝る伝達手段はないことも再確認できたという。


93年5月15日、Jリーグ開幕戦。車いすの羽中田氏は国立競技場にいた。華やかなピッチで戦う選手に対し、「悔しい」という思いがこみ上げた。サッカーへの未練こそが起爆剤だった。スペインへ渡り、再びサッカーと向き合った。エッセイスト、テレビ解説者という異なる角度からもかかわった。指導者としての羽中田氏の武器は、そんな経験から得た視野の広さだ。J1甲府、名門バルセロナでの研修を終えたレポートには、多角的な視点によるアイデアがぎっしりと詰まっている。


「どんな小さなクラブでもいい。監督として一歩一歩踏みしめていきたい」と羽中田氏。その傍らで二人三脚で歩む、まゆみ夫人が付け加えた。「たった1度でいいから、いつかJリーグで監督している姿を見たいよね」。羽中田氏にとってS級ライセンスは、まだ夢への通過点でしかない。【佐藤隆志】


記事のとおり半身不随の羽中田昌氏が
Jリーグで監督を務めるために必要なS級ライセンスを取得した。
バルセロナでは、例のない車椅子でのコーチ講習受講を認めさせたり
帰国後は強豪高校でコーチを務めたりと活発的に活動していた同氏が
不利な条件を突破してライセンスを取得したのは同慶の至りだ。


山梨県庁に就職するもサッカーへの思い已みがたく退職し
仕事も何も決まっていない五里霧中の中で
ただ情熱の赴くまま"拝啓ヨハン・クライフ様"で始まる手紙を海の向こうに送って
踏み出した彼の第二のサッカー人生は、本人が云うように
"みんなの声”なしでは成り立たなかっただろう。
しかし、その声を力に変えて一歩一歩前進できたのは紛れもない彼の努力があったからだ。
情熱こそが、条件を突破するー限りないサッカー馬鹿に乾杯



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