男たちの大和


決定版 男たちの大和〈上〉 (ハルキ文庫)

決定版 男たちの大和〈上〉 (ハルキ文庫)

決定版 男たちの大和〈下〉 (ハルキ文庫)

決定版 男たちの大和〈下〉 (ハルキ文庫)


進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 
日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ
敗レテ目覚メル ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ
大和後部副砲射撃指揮所長海軍大尉臼淵磐

連合艦隊最初にして最後の水上特攻作戦・天一号は
地上戦の行われている沖縄に大和をはじめとする艦船を赴かせ、
艦を海岸付近で座礁させ固定砲台として連合軍に砲撃を行い、
弾薬なき後は乗員が陸戦隊として敵部隊へ突撃をかけるというものであった。
この作戦の命令が下った昭和20年4月5日のはるか以前から、
制空権も制海権も連合軍に握られており
味方の航空支援が得られないない状況下で
大和が沖縄にたどりつける可能性はゼロだった。
無謀で無意味な作戦といえば、否定できないが
物量の差が圧倒的でありながら開始した戦争自体が無謀であり
一概にこの作戦を立案下令した司令部のみを責めることはできない。
しかし、当事者にしてみれば死ねと言われたに等しい
理不尽なものであったことは間違いない。


4月6日出港、翌7日に米軍艦載機の襲撃を幾度にわたって受け
鹿児島坊の岬沖90海里の地点で水中に没するのだが
大和に乗り組んだ約三千名のうち生き残ったものは、
一割に満たない三百名足らずだった。
大和の沈没後、天一号作戦は中止となる。


本書は、帝国海軍の最期を飾った大和について
進水した昭和16年から沈没した20年までの4年の軌跡を、
かの艦に乗り組み生き残った乗組員の言葉を中心に追ったものである。
大和の中で日常的に行われていたシゴキなどや慣習、生活や訓練について
生々しく語られており、艦と生死を共にした三千余名の人生の重みを
感ぜずにはいられなかった。
生存者は文字通り九死に一生を得たわけだが、
必ずしもそれは幸運だったと言うことはできない。
重油漂う海での漂流は、多数の戦友を見捨てなければならず
味方の艦に救助されるときも、足にしがみつく同胞を蹴り落とす
地獄図のような光景が展開される過酷なものだった。
何より生き残った彼らは、生き残ったというより
死に損なったという負い目を感じて戦後を過ごした者が大半だった、


戦争が悪いのであって、戦った将兵に罪はないー口にするのは簡単だが
当事者としてみれば、それでは済ますことのできない"何か"がある。
たとえば、炊事兵として乗り組み生き残った下士官
4月7日の夕食である赤飯と汁粉を楽しみしていながら
それを口にすることをできずに戦死した戦友をしのび、
三十数年間、赤飯を口にすることはなかった。
またある生存者は、許しを請うがごとく遺族を訪ね歩くー
こうした話は大和だけでなく数多くの艦や部隊にもあったであろうが
三千に及ぶ乗組員とその家族を考えれば、
失われたものの大きさに粛然とした気持ちにならざるを得ない。



大和が沈み、戦争が終り、日本が敗北して60年
新生した筈の日本の現状に憂いつつも
敗レテ目覚メルという英霊の言葉の具現化を誓い、物言わぬ先人に謝す。
あなた方の戦いは決して無駄に非ず、そして忘れまじ、と