四方の海2


前回のエントリーで取り上げたメモの出処は日経新聞らしい。
経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版

その日経は昨日のうちに靖国議論加速とか煽っていたわりには
今日は冷静な記事をWEBに掲載している。
経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版
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天皇発言メモ、閣僚は慎重な反応・財務相「学問的検討を」
昭和天皇A級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していたことを記録した故富田朝彦宮内庁長官の日記・手帳に関して、21日の閣議後の記者会見では各閣僚から慎重な反応が目立った。谷垣禎一財務相は「陛下の発言が政治にどう影響を与えるかは発言を慎みたい。むしろ学問的に冷静な検討をしたらどうか」と指摘。麻生太郎外相は「個人のメモに関して感想を述べる立場にない」と語った。北側一雄国土交通相は「昭和天皇の当時の意思が推察されると思う」と感想を述べ、「日中関係をこれ以上悪化させてはならない」と強調した。二階俊博経済産業相は「歴史的な事実は大いに参考にするが、そのことで靖国神社の問題を直ちに政治が反応することは慎重であるべきだ」と語った。小池百合子環境相は総裁選などへの影響について「はやし立てることは国益に沿わないと思う」と言及。小坂憲次文部科学相も「閣僚としても個人としても影響を受けることはない」と語った。


めでてぇ思考回路の持ち主である北のつく大臣は、
その毛が三本足りない頭で根拠のない推測をするのはやめてほしい。


本当に昭和天皇ご発言なのか、疑問の余地が多分にあるメモだが
その内容は昭和天皇侍従長である徳川氏の意見と微妙に被ってる。
http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html


20日付の日経新聞記事
参考IRL:http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1153338339/1

昭和天皇が1988年、靖国神社A級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ
以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官富田朝彦氏(故人)に
語っていたことが19日、日経新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇
1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和
天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての価値も高い。

靖国神社に参拝しない理由を昭和天皇が明確に語り、その発言を書き留めた文書が
見つかったのは初めて。「昭和天皇が参拝しなくなったのはA級戦犯合祀が原因では
ないか」との見方が裏付けられた。

富田氏は昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。日記は
同庁次長時代も含む75-86年まで各一冊、手帳は86-97年の二十数冊が残されていた。
靖国神社についての発言メモは88年4月28日付で、手帳に張り付けてあった。昭和天皇
はまず、「私は、或る時に、A級(戦犯)が合祀され、その上、松岡、白取(原文まま)まで
もが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と語ったと記されている。「松岡」、「白取」
A級戦犯の中で合祀されている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使。「筑波」は
66年に厚生省からA級戦犯祭神名票を受け取りながら、合祀しなかった筑波藤麿
靖国神社宮司(故人)を指すとみられる。

さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。松平は平和に強い考えがあっ
たと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから、私はあれ以来参拝をしていない。
それが私の心だ」と述べている。「松平」は終戦直後に最後の宮内大臣を務めた松平
慶民氏(故人)と、その長男で78年にA級戦犯合祀に踏み切った当時の松平永芳靖国
神社宮司(同)を指すとみられる。

天皇が参拝しなくなった理由についてはこれまで、「A級戦犯合祀が原因」「三木首相の
参拝が『公人か私人か』を巡り政治問題化したため自粛した」との二つの見方があった。
現在の天皇陛下も89年の即位以降、一度も参拝していない。(一部略)

日経新聞06.07.20朝刊トップ記事