試行錯誤

練習でも細かい指示は一切なし。戦術に合わせて選手を選ぶのではなく実力のある選手を選んで試合運びを任せた。「自由」。響きはいい。アジア杯優勝など結果も出した。しかし首をひねる人がいたのも事実だ。日本協会関係者が漏らしたことがある。「ジーコ監督は何もしないという批判が協会内にもあるのは事実。しかし何もいえない」。川淵会長−ジーコ監督ラインに進言することはタブーだった。ただ、川淵会長はジーコの「自由」が、日本に早過ぎたことに気付いていたのではないか。


産経新聞はスポーツ面で連日にわたってジーコの指導について検証している。
あまりにも指示が少なく選手の負担が大きかったというような批判的なトーンだ。
だが、本当そうなのだろうか。

あまり指示を出さないジーコ監督を「放任主義」と言った人もいるようだが、何も言わない方が、時には言葉をより伝えることもあるものだ。
ジェフユナイテッド市原千葉監督イヴィツァ・オシム
釜本のような選手がトップにいれば、チームの苦しみは軽減されていただろう。
しかし、強いフォワードの不在は、言っても仕方がないこと。
ジーコは、選び出した選手の力を融合させて、現時点での最高のチームを作ったと思うよ。
ジーコに戦術がないというのは誤りだ。
彼が鹿島アントラーズで教え、実践していたシステムと戦略は、世界レベルから見ても屈指だった。
あれが代表で行われていれば、選ばれた選手たちは、本当に特別な知識とプレイを身につけることができる。
ジーコは、選手を自由にしているというが、それも見当違い。
中田のような“アーティスト”が、思い通りにプレイできる環境を作ることが、彼の重厚な戦術である
元日本代表コーチデットマル・クラマー


ジーコはブラジル戦惨敗の後、
ブラジルが日本戦で見せたサッカーが目標だったとコメントしたところ
日本にはロナウジーニョアドリアーノはいないとの批判を一部から招いたが
そうしたスターを彼は欲していた訳ではないだろう。
ジーコが目指したものは、身体的に劣る相手に組織で対抗するサッカーであり
さらに相手のレベルやサッカーによって変化できる柔軟さである。
戦略的な思考として間違ってはいないと思う。


余談だが、ジーコは勝てるサッカーより正しいサッカーを目指したと推測する。
1982年スペインワールドカップで、イタリアにブラジルは敗れたが
そのサッカーは美しかった。
その美しさを再現しようと、あるいは目指したのではいだろうか。




チーム作りの他に色々と非難が多かった選手起用などの戦術面についても
彼なりのフィロソフィーを見て取ることができる。
以前、理論派で知られるアーセナル監督ベンゲル
「調子が悪くても左利きの選手はピッチに入れるべきだ。
 なぜなら左利きという存在だけで武器になる」といった類のことを述べていた。
そのコメントを知っていたわけではないだろうがジーコは中村の起用を続けた。
調子の悪い中村を起用し続けたことに批判の声があがっているが
それらは結果論で批判しているに過ぎないものが大半である。
アジアカップで戦った時に限らず中村は4年間ジーコジャパンの軸であった。
その軸を抜いて戦えば、それこそ戦いの方向性に一貫性を失うことになる。
戦いは勝つことを前提にしなければならないが、
ジーコにとって中村をスタメンから落とすということは
それはジーコが積み重ねた4年間の指導を全て無にする行為に等しかっただろう。
でなければ、ジャンケンですら勝つまでやるという負けず嫌いの性格のジーコ
特定の選手にこだわり続けて失敗した理由がみつからない。


そしてそれは一見不公平な選手起用に見えるがそうではない。
勝敗をある特定の選手に委ねることは、チームとして決して悪いことではない。
コイツでダメだったらしょうがない、コイツならなんとかしてくれる・・・
そう期待かけるエース的な存在を厚遇して何が悪いだ。
強いチームというのは、必ず核となる選手がいる。
学級会の全員平等的な発想をフィールドに持ち込むことの方が愚かだ。




ドーハの悲劇の翌年1994年日本代表の監督は
オフトからファルカンへとスイッチした。
ファルカンは結果を残すことなく1年で退任するが
基本的にこのチョイスは間違いではなかったと思う。
少なくても日本のサッカーに何が不足しているかを明確にできたからだ。
ファルカンを大学教授に喩えるなら、
この頃の日本代表は小学校を卒業したばかりの中学生だった。
それから10年が経ち、似たような状況が生まれた。
高校までのただ教わる教育とは違い、
大学では自分で学ぶ内容を選択しなければならないが
ジーコの下で戦う日本代表は
その選択を上手くできず単位修得に苦しむ大学生に似ていたよう気がする。


総括するならば
ジーコの教えは現在の日本代表で時期尚早で高度だったと言えるかも知れない。
だが、そうした高いレベルの指導に接しなければ、進歩はない。
またプロリーグが発足して20年にも満たない国が、
過去二回しかワールドカップに出場していない国が
勝つことを当たり前のように考えていること自体おこがましい。
一次リーグ突破こそできなかったが、
ジーコの4年間は決して無駄ではなかったというのが
元サッカー少年の結論である。


参考URL
http://wc2006.yahoo.co.jp/voice/nonfic/komatsu/at00009412.html
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=329372&log=20060624
産経ニュース