日本が一番世界に近づいた日



1次リーグ1分2敗の結果の受け、あちこちでジーコや選手を批判する声を聞く。
自分も1次リーグ突破に期待していただけに、正直言って残念ではあるが
代表を責める気にはあまりなれない。
大会前、川淵キャプテンが日本のサッカー成長率は世界一だ、と発言した。
今回の結果は世界の進歩の速さに取り残されたという意見もあるが、
私はそう思うわない。
川淵キャプテンが何を言いたかったのか理解するには、ここ数年ではなく
今から15〜30年前の日本サッカー界を振り返らなければならない。



クラブ世界一を決めるトヨタカップ
ジーコが来日した1981年、国立の芝は枯れていた。
今、当時の写真を観るとこれで世界一を決める大会などと
よく銘が打てたとものだと思う。
施設がそんな状況であるから、当然日本のサッカーレベルも高いわけがなく
メキシコ五輪3位の後は、ひたすら国際的に低迷を続け
僅かな輝きを観るためには、
1985年、ワールドカップ予選まで待たなければならなかった。


1985年10月25日ワールドカップ出場を賭けて国立で韓国と対戦した際
その際スタンドは在日と韓国人で半分以上が埋まっていた。
サッカー選手のレベルに比してサッカーは社会的な注目もほとんどなく
ワールドカップを認識している人間はサッカー関係者に限られていた。
敗戦に終わりWカップは夢と消えたが、
その試合で木村和司が25mの距離をねじ込んだFKは
ドーハの悲劇が訪れるまでの間、伝説として語り継がれ、
その10月26日を日本が最も世界ワールドカップに近づいた日と
半ば負け犬の精神メンタリティーを引きずながら、無念さを込めて呼んだ。
そこには、日本はワールドカップに出場するチャンスなんて
二度と巡ってこないだろうという確信に近い悲しい叫びがあった。


そうした時代を知っている者にとって、Wカップに出場するだけでは飽きたらず
1次リーグを突破出来なかったからと言って監督や選手を
批判することなどできよう筈がない。
勿論、昔を懐かしんでいるだけでは進歩がないし、
反省すべきところや修正を要する点は正さなければならない。
だが、感情的にジーコは無能だったとか、
選手が悪かったという意見には私は与しない。


以上、元サッカープレーヤーの独り言である。


関連URL 木村和司の点説のFK