大和魂

かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂
吉田松陰


日曜の笑点山口県で収録した番組を放映していた。
ご当地ネタということで山口の英雄高杉晋作
三千世界の鴉を殺し……」を使った大喜利をしていたのだが
個人的には高杉よりはその師匠である吉田松陰の方が好きである。



8日の読売新聞一面論編集手帳に目を通すと
A級戦犯の文字が飛び込んできた。
読売がまた売日キャンペーンでも始めたかと思ったが
あにはからんや先の大戦
A級戦犯ばかりが悪いのではないという内容だった。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060507ig15.htm

60年前、極東国際軍事裁判東京裁判)が開かれ、A級戦犯として28人が起訴された。東条ら7人は絞首刑に処せられた。中国は「不幸な歴史を作った責任は少数の軍国主義者にある」と主張し、A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社を参拝する小泉首相を批判する


あの戦争の責任を7人あるいは28人だけに押しつけられるものでないのは、歴史を少しでも学べばわかる。なぜ転がるのをとめられないほどの「大石」にしてしまったのか。いま必要なのは、日本人自身が歴史と真摯(しんし)に向き合うことだ。


去年、大体的に60年前の「真相はかうだ」*1
焼きなおしたような売日特集をはった新聞社と同一とは
思えない文章である。


先日、東京裁判に関する調査を実施して、
東京裁判を知らない世代ほど、靖国を是認する傾向があると
左から読むアカヒ新聞が嘆いた記事へのカウンターのような気がする。
http://72.14.207.104/search?q=cache:6XHUFtLU4EAJ:www.asahi.com/paper/editorial20060502.html+%E9%96%8B%E5%BB%B7%EF%BC%96%EF%BC%90%E5%B9%B4+%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A3%81%E5%88%A4%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1

国際的には、51年のサンフランシスコ平和条約で日本は東京裁判を受諾し、国際社会に復帰を果たした。平和条約は締約国の対日賠償を基本的に放棄することもうたい、それとセットで日本は連合国側の戦後処理を受け入れたのだ。 国内的には、A級戦犯に戦争責任を負わせることで、他の人を免責した。その中には、昭和天皇も含まれていた。


裁判は不当だという立場を貫くなら、あの戦後処理をやり直せと主張するに等しい。講和を再交渉し、米国をはじめ世界の国々との関係も土台から作り直す。そして戦争犯罪は自らの手で裁き直す。 こんなことが果たして可能なのだろうか。裁判の限界を歴史の問題として論じることはいい。だが、言葉をもてあそび、現実の政治と混同するのは責任ある政治家の態度とは思えない。裁判を否定したところで、日本の過去が免責されるわけでもない。


朝日新聞の最近の世論調査で、驚くような結果が出た。聞かれた人の7割、とくに20代の9割が東京裁判の内容を知らなかった。そして、東京裁判や戦争についての知識の少ない人ほど、今の靖国神社のあり方を是認する傾向がある。

もちろんtacaQは後者の記事について心より反駁を加える。


だいだい東京裁判はそれまでになかった平和に対する罪などを定め
事後法で日本政府の指導者を裁く荒唐無稽なもので
不遡及の原則を定めた近代法の理念に反している。
弁護側の異論や疑問はことごとく無視され
検察側の薄弱な証拠まで採用して控訴すら認められなかった判決を
そのまま正しいと主張することは法律と歴史を知らないものの戯言である。
日本がサンフランシスコ条約で受け入れたのは
裁判の判決を受け入れただけであり裁判そのものを受け入れてはいない。
国外に収容されていた戦犯についても各国と交渉によって
釈放や帰国を認めさせ、後に戦犯とされた方の名誉を回復させている。
それをいつまでも戦犯戦犯と言い募り戦争責任をわめきたてるのは
無実の者に冤罪をかぶせるに等しい行為である。
言葉をもてあそんでいるのは朝日新聞ではないか。



劇団四季浅利慶太は太平洋戦争三部作を上演するにあたり
こう述べている。

いつか日本は、この戦争の「開戦」と「敗戦」の責任を情緒論には流されず、自らの手でしっかりと裁き、歴史に刻印しなければならない。


あの戦争の開始および遂行にあたり
日本ま軍部および政府指導者に稚拙なところが多数あり
反省すべき点も多々あるのは承知しているが、それでも
「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」の
戦いであったと個人的には信じている。




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*1:1945年(昭20)12月からはじまったNHKのラジオ番組。独自番組のように放送されたが、実際は脚本・演出までGHQの民間情報教育局が担当した。内容は満州事変以来の軍国主義の実態を暴露するドキュメンタリーで、アメリカの都合で故意に歪曲された部分も少なくなかった。しかし、国民の初めて知る事実も多く、後続番組の『真相箱』『質問箱』が生まれたほか、この番組に刺激されて天皇制批判や、暴露記事を売り物にする雑誌が多数創刊された。