ロータスとの契約破棄から始まったホンダの1964年F1挑戦は苦難の連続だった。
当時二輪車メーカーとしては世界的な成功を納めていたが、
四輪メーカーとしてはまだ海の物と山の物ともつかない弱小であり
販売実績はないに等しかった。
そんな会社がF1に参戦することなど冒険を通り越して無謀な企てであった。
ロータスとの提携を断られたホンダは、
「雷を見た。ホンダはホンダの道を行く」と電報を打ち
創始者宗一郎の陣頭指揮の下、半年でシャーシーを作り上げ、
1964年ニュルブルクリンクでデビューを果たす。
ギアボックスがエンジンと一体であったためにギア交換の度にエンジンを解体したり
オイルタンクを装備してなくてオフィシャルに指摘され
コカコーラの缶で急場をしのいだりと経験不足からくるトラブルが予選で相次いだ。
そして予選の規定である5周のラップすらクリアできなくて
オーガナイザーに泣きついてどうにか決勝のグリッドにつく体たらくだった。
決勝では一時は入賞をねらえる位置までジャンプアップするものの結局リタイヤし
散々なデビュー戦となった。
ホンダの第一期F1活動は、5年間で2勝を挙げるのだが
空力F1開発の失敗、ジョー・シュレッサーの死亡事故など多くの失敗を重ねた。
今年、元F1ドライバーの鈴木亜久理が率いるチームがF1デビューを果たした。
チームデビュー戦となったバーレーンGPで佐藤琢磨は4周遅れながら完走を果たした。
参戦決定から出走まで期間が短く、よくマシンを完成させることができたと思う反面
戦闘力不足は否めず、よほどの幸運がない限り今後も入賞することは難しいだろう。
それでも、日本人の作ったマシンに、日本人の作ったエンジンを乗せ、
日本人がドライブするという情景にカタルシスを覚えるといったら
時代錯誤の国粋主義と呼ばれるだろうか。
関連URLhttp://sportsnavi.yahoo.co.jp/motor/f1/headlines/20060313-00000023-jij-spo.html
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