さらばレフティーモンスター

神様おるんか
小倉隆史


ワールドカップイヤー最初の試合となったアメリカ戦
スリツピーなグランドに足をとられたとはいえ
あまり満足のいく出来ではなく、スコアこそ2-3だったが
ほぼ完敗と言っていい内容だった。
選手間のコミュニケーションに難があるのもさることながら
中盤でボールを支配されてはロングボールを放り込まれ
ディフェンスが崩されるシーンがあまりにも多かった。
ただ前線で体を張り泥臭いプレーを厭わない巻や
代表初選出の佐藤の粘りある動きは評価すべきかもしれない。



今朝の新聞は日本代表の関連記事ばかりが目についたが
元日本代表FW小倉の近況を伝える文章を見つけた。
記事を読み90年代前半の彼の活躍を知る者として
一抹の寂しさとある種の感慨を覚えざるを得なかった。



http://www.nikkansports.com/ns/soccer/p-sc-tp0-060211-0002.html

ケガに泣いたFW小倉引退、指導者目指す


ケガに泣かされ続けたレフティーモンスターが、静かに現役生活の幕を下ろした。甲府は10日、1月31日で契約が切れていたFW小倉隆史(32)の現役引退を発表した。
小倉は早くから、破壊力ある左足シュートだけでなく、ドリブル、パスにも秀でた総合力の高いストライカーとして期待されていた。名古屋加入後の93年には、オランダのエクセルシオールにレンタル移籍し、チーム得点王にもなった。94年には20歳で日本代表デビュー。96年アトランタ五輪を目指す代表メンバーでもエースとして期待された。
だが最終予選前の合宿で右足後十字じん帯を断裂。数度の手術で復帰は果たしたが、以前のフォームを取り戻すのに苦労し続けた。市原、東京V、札幌と移籍を繰り返し、03年からはJ2の甲府でプレー。04年こそ40試合に出場したが、昨季はJ1昇格を果たしたチームの中で、わずか8試合出場2得点に止まっていた。今後は指導者を目指し、第2のサッカー人生を歩むことになる。
[2006/2/11/10:36 紙面から]


冒頭の言葉は、小倉が二度目の怪我をした時
自分の悲運を呪った言葉である。
彼と同時代にオリンピックやJリーグで活躍した城彰二
日本代表に初選出された時、三浦和良から名選手の条件として
怪我をしないことだと教わったことがある。
スポーツに限らず人生には、「たら」と「れば」はないのだが
サッカーというスポーツに魅せられた者の一人として
小倉が怪我をしなかったら、手術に成功さえしていれば、
と思わずにはいられないのが正直なところである。



もっとも二度の怪我から復帰して、数チームを渡り歩き
戦い続けフィールドを去っていく小倉の心を
tacaQごときにわかる筈もなく
こうした自己満足な感傷をつづった駄文なんぞは
彼にとっては迷惑千万かも知れない。
だが、それでも一言「オグ、お前はよくやった。」と言いたい。


毎年多くの才能あるプレーヤーが現れては消えていく中で
どんな姿であれフィールドで戦う者は幸せなのだー
以上、全治1か月の右太腿筋損傷を負った元サッカー少年の
独り言である。