空の華 vol1

われわれ中島の技術者は国家の存亡ということで必死に飛行機を設計し生産してきた。
しかし、その飛行機により尊い若者の命が奪われたことは間違いのない事実である。
過去の飛行機を美化するようなことは決してするまい
中島飛行機技師長・小山悌

終戦から60年という節目の年を迎える今年は、慰霊という言葉を何かとよく見聞きする。
だが、靖国に対する神学論争にも似たマスコミの中身の薄い報道をみていると、
この国は、日本人として忘れてはいけない大事な記憶と精神を
どこかで欠落させしまったように思える。
心を失った者が慰霊の儀式を執り行い、それを論じたところで何の意味があるのか。


靖国に祀られている彼らは、帝国主義の苛政に加担した加害者でもなければ、
意に反して国家の犠牲になった哀れな被害者でもない。
ただ、国のために忠義を尽くした者達であるのに、
曲解としか思えないような見解を主張し、
それを支持する人間が少なからずいる現状は
あの時代を生きた人間として悲憤に耐えない。
六道の因縁から解き放たれ彼岸に達し、九段に祀られている彼らにとって
そうしたことは、世俗の些事に映り、もはや顧みられることはないのであろうか。
暗愚たる凡夫の身で、それを確かめる術はないが、おそらくそうであるまい。
彼らは、死して護国の鬼となることを誓ったのであるから。



かくいう自分も大戦中は、必死の覚悟を決めたものの、ついに参戦の機会を得ず
今現在、老醜を晒しながら生きている人間である。
だから、大所高所から見下ろすような高説を述べる気などさらさらないが
それでも失った学友、いや同胞のために、セピア色にぼやけた思い出話を
一つ語らせていただきたい。
これは決して自分が製作に携わった過去の飛行機を美化する話ではない。
私と深い縁で結ばれた酒の不思議な因縁話である。


(続く)