チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷


チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)


チェーザレ、皇帝を意味するカエサルを名に持つ男は
その人生において多くのルビコン川を渡った。
彼の剣に「IACTA EST ALEA(賽は投げられた)」と彫られたことから
彼が少なからずカエサルを意識し、目標としていたことが容易に伺える。


法王の息子というキリスト教会の異端児として生まれ、
自らの王国設立の野望に突き進んだ彼は、
キリスト教国と民衆から「悪魔」同様に見なされている。
目的のためには手段を選ばないその冷酷な手法ー
枢機卿の緋色のマントを投げ捨てていながら
最高権威であったローマ教会を徹底的に利用し
脅迫と懐柔を用いて、目標を着々と進める様は、
彼の敵となった人間のみならず、当時のキリスト教徒にしてみれば
悪魔の所行としかみえなかっただろう。
事実、彼はキリスト教的道徳的規範というルビコンをやすやすと越え、
何度となく対岸に渡り着いている。


王国設立のための土台作りがほぼ終わり、これからという時に
彼の後楯でもあった法王が死去し、自身も病の床に臥せり、流れを手放し
以後体勢を立て直せないまま不遇のうちに31歳の短い生涯を閉じ
彼の野望も砂上の楼閣と消えてしまう。


彼と彼の夢の呆気ない最期は、キリスト教徒にしてみれば
地上における神の代行者という権威を侮蔑した「神罰」と解釈するかも知れないが
どんな悪し様に罵られようとも、彼の生き様は色褪せるものでなく
カエサルの名に相応しいものであった。
それは思想として敵国であった一人の官僚に受け継がれ、
今に伝えられている事実からみても自明だろう。