日本の国内では当時はマイナーなスポーツだったわけでしょ。
だから、みんな使命感があったよね。サッカーをもっともっとメジャーにする、したいというね、
釜本邦茂


いつまでも栄光のメキシコ五輪銅メダル云々という訳でないが、当時を戦った選手の言葉の中には
女子が決勝に進み、男子が決勝に進めなかった理由を解くキーワードが隠されているように思える
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/athens/column/200408/at00001787.html
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/athens/column/200408/at00002064.html


シドニー五輪に出場できなかったことで、日本女子サッカーリーグLリーグ)は
スポンサーが集まらず、危機的な状態にさらされていた。
今回アテネへの出場がなければ、リーグの縮小はもとより解散すらあり得ただろう。
http://number.goo.ne.jp/soccer/japan/607/20040729-f1.html
彼女らは、Lリーグの未来が賭かったプレッシャーの中で戦い
一つでも多く戦うことが、自らの未来を切り開くこと知っていた。
それはメキシコ五輪の時の男子サッカーチームに通じる部分があることは
誰の目にでも明らかだ。
メダル獲得という目標だけで、日本のサッカーを背負うという使命感もなく
チーム内に釜本とネルソン吉村のような軸になる信頼感もなく
ガツガツとした勝利への貪欲さを示したのが大久保だけでは、
今回の男子の結果は、妥当なところなかのも知れない。


ちょっと話がそれるが、女子バレーが不調なのは、
監督とコーチがしっくりいっていない部分が大いに影響がありそうだ。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/headlines/volley/20040817-00000022-kyodo_sp-spo.html
だが、それすらも自分が背負ったものの大きさを知れば些少のことに過ぎない。
何のためでもいいから、自分が何のために戦っているのか、
それを意識できるかできないかが全ての結果に現れているように思える。