アテネオリンピックで、日本女子サッカーチームがスウェーデンに1-0で勝利した。
深夜、球撞きから戻ってきて、チャンネルを合わせて後半の途中まで見ていたが
内容的には2-0か3-0でもおかしくないくらい日本がゲームを優位に進めていた。
決定的なゴールチャンスを幾度かものに出来なかったという詰めの甘さが残るにしても
優勝候補に挙げられるチームの一つに、開幕戦で勝ったということは
大いなる賞賛に値すると思う。


12日の深夜からは男子サッカーも始まるが、それに先立ち
ナンバーにA代表と五輪代表チームの監督の比較論が掲載されていた。
山本監督と違ってジーコはその選手起用を含めた采配の意図が読みづらいところから
批判の対象となることが多い。
今回、アジアカップで優勝して結果を出したとはいえ、
1、2戦のオマーン戦やタイ戦の戦いぶりを良しとする人間は少ないだろう。
ある意味、ジーコの手法というのは、不器用なまでに愚直である。
いい変えれば無駄が多く、選手起用を巡って選手間の軋轢も発生している。
久保、小笠原などが起こしたキャバクラ騒動などは、
一見贔屓に見えるジーコの采配が遠因の一つである。


だが、よくよく考えてみれば一部の選手を特別扱いしては何故いけないのだろうか。
寧ろ、選手の力を公平に見てといたったところで
監督の好みの戦術やプレースタイルで、どうしても偏りがでてきてしまう。
そういうことを無視して部外者が、選手全員に出場機会を均等に与えよというのは
単なる我が儘であり、チーム運営を中途半端で危険な落としなかねない。
これは、自分の推測でしかないが、現段階において、
チームの核となる人間を作り出そうとしているのではないだろうか。
だから、多少コンディションが悪かろうが、負荷がかかりすぎていようが
そうした悪条件を乗り越え、チームを支える選手を育てているように見える。
この見解が正しいかどうかは、ドイツへの道でやがて明らかになるだろう。