雷見た。ホンダはホンダの道を行く。 本田宗一郎
1964シーズン開幕4か月前、本田宗一郎はロータスのコーンリン・チャップマンに
エンジン搭載の契約を一方的に破棄された時
そう返信しF1出場を絶対に諦めないことを内外に示した。
半年の突貫工事でシャーシーを作り上げ
新人のアメリカ人ロニー・バックナムを起用して
8月のドイツGPニュルブルクリンクに
F1デビューを果たしたというから
宗一郎率いる当時のホンダは正しく執念の塊だった。
経験不足故に、予選では、規定周回数の5週すらラップできず
オーガナイザーの好意で出場を許可された決勝もリタイヤと
散々なホンダのグラプリデビューだったが
そうした成績を度外視しても出場するがむしゃらなガッツが
あればこそ、後のホンダがあったと思う。
昨夜、13年ぶりの日本人表彰台が期待されたF1を見ていたら
「クリア・ラップ」の意味を知らない(或いは、入らないフリをしていた)
とぼけたアナウサーがホンダのF1デビュー40年という事実を紹介していた。
琢磨のエンジンは途中でブローし惜しくも表彰台を逃したが
それなりに見せ場はあってエキサイトなレースだったと思う。
F1再復帰後、勝つ気あるんか?とツッコミたかったくなるようなパフォーマンスが続いていたが
今年のホンダは十分表彰台真ん中を狙える。
宗一郎亡き後、久しぶりにホンダの雷を見たような気がする。