「ナイジェルの燃料は大丈夫か?」ヨシはピットクルーに尋ねた。
「はい、このペースであれば5リッター以上残ります」
昭和61年11月オーストラリア、アデレード。この年は、最高峰レースのチャンピオンシップは混戦となり、ドライバーズ部門は最終戦まで決定が持ち越されていた。最終レースが始まる時点でランキングトップは5勝のナイジェルだった。最終戦を3位以上でフィニッシュすればチャンピオンが確定する。ランキング2位のアランと3位のネルソンにも逆転でチャンピオンになる可能性はあったが、それはレースに勝利してかつナイジェルが4位以下でゴールというのが条件がついた。1位のナイジェルと3位のネルソンが会社のエンジン・ユーザーだった。
前年途中、ヨシ達が設計した新エンジンのテストはことの他上手くいった。テストの結果に希望を見出したパートナーのフランクから新エンジンの投入を催促されるに至り「オレのエンジンを下ろすからには絶対に勝て」とノブのアニキは引き攣った顔でヨシに厳命した。意地やメンツよりも結果で語るーそれが会社の生き様ーそう理解したヨシは、全精力をレースに傾けた。結果、シーズン4勝を勝ち取った。前々年まで合計で3勝だった会社の総勝利数を上廻る好成績にノブのアニキは「オレのエンジンを引きずりおろしたからには、これぐらいの成績は当然だろう」と腹の中で葛藤している嬉しさと悔しさを隠しきれずに言った。このエンジンでチャンピオンを狙えるーヨシは前年末、その手応えを掴んでいた。
最高峰クラスのレース復帰して5年目、フランクのチームのエンジンを提供して4年目になるこの年、ネルソンとナイジェルの二人で15戦のうち9つのレースで勝利をおさめ会社は初のコンストラクターズ部門のチャンピオンを獲得し、オヤジがめざした世界一を一つ達成していた。ただし、最高峰のレースにおいてチャンピオンというのは、コンストラクターズ部門ではなく、ドライバーズ部門の勝者というのが相場であった。そのドライバーズ部門の最高位も、あと30周たらずで手に入る―現場にいた社員は誰もがそう考えていた。サーキットで車の整備を行うピットクルーの半分は会社からの派遣組が占めており、ピットは初めての世界制覇を期待する雰囲気で満ちていた。82周で競うレースの55周が終わったとき、ナイジェルは4位を走行していた。
ターボ・エンジンで競われていたこの年のレギュレーションの最大の特徴は、レース開始後の燃料の給油が禁止されていたことだった。つまり参加するマシンはスタート時に搭載している195リットルのみの燃料で速さを競うことになっていた。燃料がなくなったマシンはその時点でレースが終了となった。レース序盤から中盤にかけて極力燃料の消費を抑えて走り、”貯金”ができた時点でスパートをかけるのが定石の一つとなっていた。レース中盤ナイジェルの順位が4位に落ち着いていた時、レースをリードとしたのはケケだった。ケケは昭和57年のチャンピオンで昨年まではフランクのチームで走っていた。昭和59年会社に17年ぶりの勝利をもたらした立役者でもあった。ケケが現役最後を公言していたこの年、彼はポルシェ・エンジンのロンのチームを選び、昨年のチャンピオン・ドライバー、アランのチームメートとなっていた。ケケがチームを移籍した理由についてヨシは正確なところを知らなかった。契約金だったのか、フランクとの関係がこじれたのか、それともフランクのチームよりポルシェを載せるロンのチームの方が勝ち目が多いと踏んだのか―。正確な理由は本人のみぞしるだが、ともかく今年のケケは、倒すべきライバルとなっていた。
ケケは、フィンランド人らしく勇敢なドライバーで、市街地を得意としていた。一般の道路を封鎖してコースとして利用する市街地レースは、ガードレールでコーナーの出口が隠れることが多いため、レース専用のクローズド・サーキットにはない恐怖心がドライバーを襲う。歩行者や対向車がいないと頭ではわかっていても、出口の見えないコーナーは死への恐怖が首をもたげるのだ。一秒に満たないほんのわずかの逡巡がドライバーにアクセルをためらわせ、勝負のアヤとなることもしばしばあり、ケケはそのアヤをつかむのが上手かった。前年のアデレードは、フランクのマシンと会社のエンジンとケケの組合せが勝利をおさめていた。
アデレードの市街地コースのレースを先頭で走るケケをヨシはオーバーペースと判断した。敵のチームの燃料消費状況について正確なところはわかないが、彼は1年間戦ってきた相手の性能をほぼ理解していた。「燃料が持つわけがない。アランにチャンビオンを取らせるためにレースの展開をひっかきまそうとしている」とヨシは読んだ。ヨシはエンジンの責任者であった。レース全体の指揮はチーム・オーナーのフランクがとるものの、エンジンや燃費の計算、タイヤ交換についてはヨシがハンドリングしていた。マシンに取り付けたテレメーターは会社のもので、そのデータを読み解いて判断することはヨシにしかできなかったからだ。
「ケケは無視して大丈夫だ。ナイジェルの燃料をチェックしておけ」ヨシは、チームクルーに指示を出した。クルーからナイジェルにペースをキープしろとのオーダーが出された。ヨシは残り3周前後でケケの退場を予想していたが、それよりもずっと早い62周目にケケの最終レースが終了した。残りあと20周となった62周目、ケケの車がストレートを走行中、後輪のタイヤがバーストした。この日好天に恵まれたアデレードは気温が高かった。そしてタイヤの耐久性に大きな影響を与える路面温度も高くなっていた。タイヤのサプライヤーからは、タイヤ交換なしで82周の完走は可能という判断が示されていたが、ケケの荒い走りはサプライヤーの予想以上にタイヤを酷使していたのだ。
ケケの退場でネルソンがトップとなり、ナイジェルは3位に繰り上がった。ナイジェルがチャンピオンの座をほぼ手中にしたとサーキットの誰もが思った。
「ケケのタイヤがいっちゃいましたね」
「ああ、彼はタイトなコースは速いけど、タイヤのグリップをフルに使うからな」と口を開いたスタッフにヨシは答えた。しばらくして「まあ、ナイジェルも似たようなタイプだな」と続けた。
「タイヤ交換させますか?」スタッフが尋ねた。
「そうだな、4位との差どれくらいだ」ー「40秒以上あります」
ピットでタイヤ交換すると一周のラップは約30秒ほど遅くなる。約10秒間のタイヤ交換の作業時間に加えて、作業場所であるピットに入るための減速とコースに復帰するまでに加速する時間を必要とするからだ。
「よし、ナイジェルにピットインの指示を出せ」ヨシは、クルーに指示した。しかし、サインボードを確認したナイジェルがその指示を実行することはなかった。
63周目、時速200キロメートル以上のスピードでストレートを走っていたナイジェルのマシンにアクシデントが訪れた。突然、轟音とともに後輪が破裂し、数秒前までタイヤを構成していた黒いゴムは回転しながら1、2秒のうちに四散した。それをとどめる手段を思いつく間もなく、後輪のホイールがむき出しとなり、アスファルトを削り火花を散らした。モニターを見つめていたヨシは、タイヤを失いながらコース外で停止したナイジェルのマシンを見て頭の中が真っ白になった。ケケのリプレイであってくれ、自分の見間違いであってくれと祈った。しかし、サーキットはケケの時以上の悲鳴に包まれていた。レースの実況を放送していたスピーカーはカーナンバー6番とともにナイジェルの名前を何度も絶叫した。
「落ち着け」ヨシは自分に言い聞かせて平静さと思考を取り戻そうとした。ナイジェルがリタイヤしても、まだネルソンが走っている。ケケがリタイヤしたあとはネルソンがトップを走っていた。このままレースが終わればネルソンが逆転でチャンピオンだ。「ネルソンとアランの差は?」10秒です」間髪を入れないスタッフの答えに満足しながら、ネルソンが逃げ切れるとヨシは計算した。
しかし、タイヤのサプライヤーから緊急の指示が全チームに入った。
”安全のためタイヤ交換を強く奨励する“ー「チッ」ヨシは舌を打った。タイム差からしてネルソンがタイヤ交換すると先頭をアランに渡さなければならなくなる。アランはレース序盤のトラブルでタイヤ交換をすでに実施していた。つまり、サプライヤーの指示はアランには適用されない。ネルソンを無理して走らせるか?しかし、ナイジェルのようにタイヤを破裂させてしまえば、全てが終わる。チャンピオンを獲得にはアランのトラブルを期待することになるが、ドライバーの安全には変えられない。クルーはネルソンがピット前を通過するまでにサインを決める必要があった。交換が遅くなればなるほど挽回できる周回が少なくなり、状況は厳しくなる。10秒足らずの時間でヨシは決断した。
ネルソンにタイヤ交換の指示が出た。