ドリームランド

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推定ではあるが、
第二世界大戦と戦後の米空軍の迷走と再生を
描いた「F-22への道」の作者夕撃旅団は
浜田一穂氏もしくはその関係者ではないか、と思う。



さて、数々の航空関係の訳本を
手掛けきた浜田一穂氏が
ドリームランドと呼ばれたエリア51
極秘の開発を行い
東側領土上空で作戦を展開した
米軍の偵察機U-2の"歴史"をまとめた一冊は
航空機マニアのみならず、
冷戦下に隠され米ソのスパイ活動に
興味のある人間にはたまらない内容である。

ソビエトがミサイルで
アメリカ本土に核を打ち込むことが可能で
容易ならざる敵であった冷戦時代

ソビエト人工衛星の打ち上げ
スプートニク・ショックは
アメリカを狼狽させ、混乱の渦に投げ込んだ。
太平洋戦争の悪夢ともいえる
日本の真珠湾攻撃の記憶がよみがえり
被害妄想を増幅させ
様々なスパイ活動や兵器開発に
無駄に熱い情熱と予算を注ぐ
冷静さを失ったアメリカで
一つのユニークの機体が開発される。

第二次世界大戦
米国初のジェット戦闘機を誕生させた
ロッキード社の航空機デザイナー、
クラレンス・"ケリー"・ジョンソンが
手がけた高高度偵察機
高度7万フィート(2万1千メートル)以上の
高空を飛行し
ソビエトの領土上空から
クレムリンが隠していたロケットや核施設など
様々な秘密をカメラに収める。

結果的に1960年以前のソビエトには、
アメリカが恐れるような能力はなかったのだが
敵を実態以上に見積って
準備する軍人のサガともいえる
過剰な防衛意識は止まらない。


この成層圏を飛行する飛行機は
高層大気の調査研究という大義名分を用意して
NACA(全米航空諮問委員会:NASAの前身)の
ロゴを入れたりしていたが
空軍戦略軍団出身の予備役パイロットを
リクルートして
CIAがミッションを転がしていた。

空軍ではなくCIAが偵察を担当していたのは
偵察が露見した時に軍主導だと
ソビエト軍が反応して
戦争に発展する可能性があったことと
思い込みで暴走しがちな軍部の
悪習を知悉し、これを懸念した
軍部出身のアイゼンハワー大統領の
叡慮だったたようである。

1960年5月ソビエト領空を飛行中に
ミサイルで撃墜され
パイロットのゲアリー・パワーズ
スパイ機を飛行させていたことから、
軍人として扱われずに
スパイとしてソビエトの軍事裁判に裁かれ、
禁固10年の刑をいい渡される。
その後、スパイ交換の対象となり
1962年2月に米国に帰還している。

帰国後は、
ソビエトKGBの取り調べを受けたことで
機密漏洩やダブルスパイの可能性を疑われたり
捕虜になる前に自殺をしなかったということで
CIAや空軍から冷遇を受け、
嫁に逃げられるなど
悲喜こもごものエピソードが
織り込んである一方で
フルシチョフアイゼンハワーケネディの間で
交わされた駆け引きは
最近公開された機密の情報を
丹念に読み込んだ作者の
真骨頂ともいうべき見せ場で
自身の勉強不足を色々と痛感させられた。


世界が核戦争の惨禍にまきこまれなかったのは
冷静に判断できる指導者が
米ソ双方にいたからであり
幸運にめぐまれていたのだと
思わずにはいられない。


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人生の基本となるのは感謝

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▼弱いチームのファンを半世紀もやっていると、指導者がいかに重要かがよくわかる。死ぬまでに日本一を見られるかどうかという惨状だったのが、「三原マジック」で希望が見え、知将・広岡達朗が球団創設28年で日本一に導いた。「ID野球」を引っさげた野村克也監督時代になると、「負けに不思議の負けなし」と勝つのが当たり前になった。

▼20年ぶりに日本一を奪還した高津臣吾監督は、「皆さんに心から感謝、感謝、感謝です」と語った。「人生の基本となるのは感謝」が口癖だったノムさんも「何言ってんだか」とぼやきながら目頭を熱くしているだろう。

読売主導の1リーグ騒動と
毎シーズン末にく返されるファン不在のタイトル争いに
嫌気がさして、
プロ野球のネタは取り上げてこなかつたが
産経のコラムについ絆されてしまった。

つねに感謝を口にできる人間でありたいと思う。

ブルヴァール

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先日、まんがアプリで20年くらい前の昔読んでいた漫画を見つけた。
連載が終わっってから、とんとみかけなくなったので
何か別の作品を描いてなかったかのかなぁと検索してみると
今年の5月に逝去されていたこと事実に突き当たった。


ご冥福をお祈りいたします

パラアスリートと74

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五輪同様に無観客で開催されることになった
東京パラリンピック
中国武漢発ウィルス変異株の流行で
緊急事態が宣言され
最高の舞台に不可欠な観客という要素を失った
関係者の失意はいかばりか。
マイナー競技者の悲哀とその心境を慮れば、
いたたまれないような切なさが胸にこみあげてくる。


パラ競技に興味を持っているかと問われれば
素直に肯んじる言葉が出てこない自分ではあるが
競技によっては、その面白さに気づかされたり、
また、思わぬ発見をすることもある。


以前、競技を継続するための資金を確保するために
セミヌードで写真集を出版し、
物議をかもした中西摩耶選手についてである。
彼女の跳躍をとらえた写真に、74のロゴを見つけた。
ミドル以上のバイクファンなら、見まがうことのない
加藤大治郎のゼッケンが、
彼女の義足に貼付されていたのを見つけた。


検索してみると中西選手のblogに
大治郎を称賛する記事がほどなく見つかった。
(なぜか、文字が白なので ctl + a で選択して反転)

ameblo.jp



大治郎が、人々の心に灯りをともしていることに嬉しさを覚える。
同時に、彼の走りを見ることができない寂びしさが胸をさす。



全てのアスリートに祝福あれかし。

歴史と漫画

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中学3年のころ
歴史をギャグで綴るという当時としては
画期的な漫画に出会わなければ
田沼意次は、腐敗した賄賂政治として断罪したまま
自身の記憶の片隅においやったままだったろうし
幕末、示現流で暴れた薩摩隼人たちに畏敬の念を
もつこともなかっただろう。


ただ単に歴史を劇画にしたというだけでなく
事件や行動の背景や動機を深く追求して
教科書で数行しか記載されていない偉人らの、
あるは取り上げられることもなかった人物らの
悲喜こもごもを
ユーモアに語るこの作家の作品は
自身の歴史観を形成するうえで欠かせないものとなった。

幕末を描くといいいながら、
関ヶ原の戦いから物語が始まり
編集者がしびれを切らして
早く幕末を舞台にとの要望に応えたのは
単行本が二十を過ぎてからであり、
幕末で暴れる主要人物が幼少期のまま
雑誌のリニューアルにともない連載が一端終了して
新雑誌での連載も途中で頓挫、
コミックリイドで、幕末編でやっと本格的な幕末を
描くようにになったのは、連載開始から20年がたち
二十一世紀になってからあとのとだった。

歴史を語りながら、
作品的が歴史的になった風雲児たち
日本史を選択しなかったつた自身にとって
唯一無二の近世日本の歴史書でもあった。

さて幕末編のコミックは二十数巻あたりで、
歯抜けしたままで放置しているような
不真面目なファンとなって久しいが
それでもこの作家の退場は残念至極の一言につきる

すべてのアスリートに祝福あれ

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産経新聞特別記者の別府育郎氏が、
ここ数年産経紙上で綴った記事ー
円谷幸吉君原健二
神永昭夫と猪熊功、
ベラ・チャスラフスカと遠藤幸雄
についての3つの物語を纏め、
ベースボーマガジン社から発売された。

また、上梓された記事と前後して綴られていたボクシングのコラムも
やはり、ベースボールマガジン社から刊行されており
長年、同記者の記事に惚れんこんでいた自分からすれば
盆と正月が一緒に来たような気分になっている。

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別府氏は、これまでに珠玉ともいえるコラムを多くを発表していたものの
発表の機会が準全国のマイナー紙に限定されていたことから
彼の文章を知る人は多くなかったであろうが
今回の発売を機に、彼の文章に触れる人が一人でも
多く生まれることをねがってやまない。


東京五輪の開催に反対する声が大きいなか
開幕の翌日の産経の一面ま紙面には
当然のごとく、別府氏の文章が掲載されていた

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1年前の同じ夜、白血病からの復帰を目指す競泳の池江璃花子は暗闇の国立競技場で聖火のランタンを手に一人立ち、こう語った。

「逆境からはい上がっていく時にはどうしても希望の力が必要です。希望が遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても前を向いて頑張れる。1年後の今日、この場所で希望の炎が輝いてほしい」

その後の過酷なリハビリと驚異的な回復力で代表権を勝ち取った池江には五輪開催に反対する人らから出場辞退を求める声が突きつけられたこともあった。

東京五輪をトンネルの闇の先の光としたい。多くの関係者がそう語ってきた。残念ながら新型コロナ禍の闇は晴れていない。無観客のトンネルの中で五輪は開会を余儀なくされた。



だが、闇とは何か。全盲のパラリンピアン、競泳のエース、木村敬一はこう話してくれたことがある。

「僕は闇という言葉に、そもそも概念を持ち合わせていない。単に光や希望のない世界ともとれるし、ただ上から覆いかぶさっているだけで、外せば晴れるもの、いろいろな冒険ができてチャレンジができる世界。そうともとれる」

「闇」に対して、これほどポジティブな言葉は聞いたことがなかった。

満員のスタンドに迎えられることなく競技場を行進する選手たちに、木村の言葉を贈りたい。闇という冒険の場を、自らの競技力で切り開いてほしい。新たな伝説を作ってわれわれの記憶に刻んでほしい。われわれは遠くからでも、精いっぱいの拍手を送る。

スポーツが命より大事とは言えない。
ただ、スポーツに命と同等のものを賭けて
生きてきた競技者に経緯を払うべきだろう。
彼らが綴った物語がなかりせば
この日本はどれほつまらなく、味気ないものだっただろうか。
勝者と敗者ー努力が報われるとは限らない結末に
青春の全てを注ぎこむー
全てのアスリートに祝福あれかし。