刑事の技と心


最近、書くことが少なくなった井口氏の記事
とんとみかけななって寂しいかぎりだが
某団体幹部の死刑執行の報道に接し
数年前に読んだ彼の記事を思い出した。


人を動かすのは真心と情熱だということを
しみじみと考えさせられる。


【視線】惚れ込み、惚れ込まれる 東京編集長・井口文彦 - 産経ニュース

【視線】惚れ込み、惚れ込まれる 東京編集長・井口文彦
2015.5.18 10:00


 刑事には、容疑者に「惚(ほ)れ込む」ときがあるという。容疑者を理解し、その半生と事件の接点を見いだしていくうち、何らかの感情が湧く。「惚れ込めぬホシを落とせるか」と刑事たちは言うが、逆もある。



 20年前の5月6日。黄金週間の連休をあと1日残す土曜の夜9時過ぎ、丸の内署取調室。オウム真理教による一連の監禁事件などの取り調べを受けていた教団医師、林郁夫は、「じゃあ、また明日」と席を去ろうとした取調官、稲冨功に言った。



 「サリンを撒(ま)きました。地下鉄で。私が、サリンを撒きました」



 寝耳に水。警視庁は林をそこまでの重要容疑者とみていなかった。だから取り調べには中核の捜査1課でなく、第3機動捜査隊からの応援の稲冨があてられていた。

 しかし林は他の誰にでもなく、この稲冨に告白しようと決意する。これが転回点となり、オウム捜査は大きく前進する。

 オウムの教義にどっぷり漬(つ)かり「警察は敵」だったはずの林がなぜ自白したか、その内心は著書『オウムと私』に詳しい。



 警察の常識ではあり得ないのだが、稲冨は容疑者の林を「先生」と呼んだ。上司には怒られるが、やめない。「何が先生なものか」。林は反発するが、心を閉ざすのが難しくなっていく。威圧でなく、自白を強要するでもなく、あくまで人としての琴線に触れて心を開かせようとする稲冨の調べ。林は「プロだ」と感心し、医師時代の職業意識や倫理観を思い出していく。


 《本気で理解しよう、真実を追求しようというプロの厳しさ、あまり物事にこだわらない性格、それでいてどこかに『照れ』をもっている、そして批判的な『白(しら)けの部分』を大切に思っている男っぽいところに心惹(ひ)かれました》(『オウムと私』)


 逮捕1カ月後には稲冨に嘘をつくのが苦しくなった。「状況が異なれば、友人になりたいとまで思いました」とすら書いている。ずいぶん惚れ込まれたものである。

 が、稲冨が単に善人なだけかといえば、それは違う。筋金入りの刑事である。稲冨は当時のことについて「林は純粋な男ですから」と言葉少なだが、林が観察していた以上に、冷徹に林を分析していた。

 もともと暴力団刑事である。筋者(すじもの)を相手にしてきた嗅覚で、「この男は組織から抜ける」と見抜いた。いかに頭脳明晰(めいせき)といえ、人間を組み伏す胆力では林はかなわない。先生と呼んだのも、紳士的に振る舞ったのも、すべて計算ずく。林は稲冨から紳士的に揺さぶられ、計画的かつしたたかに完落ちさせられた、とみたほうがいい。


 地下鉄サリン事件から20年が経(た)った。稲冨が警視庁を退職し、8年になる。68歳になった稲冨は、同い年の無期懲役囚である林と手紙のやりとりを続け、刑務所に面会に行く。これからも続けるだろう。

 「死ぬ覚悟をして林は自供した。でも判決は無期懲役。家族や社会に背き、麻原彰晃を裏切り、オウムの仲間も裏切った。その揚げ句、自分だけが死刑にならなかった。林には心と体の置きどころがない、のです。私ぐらいが相手をしてやらなければ、かわいそうじゃないですか」

 学園紛争の最中に教育大を卒業し、出版社の内定を断って警官になった変わり種の稲冨は、在職中ずっと「どうすれば自供させられるのか」と考え続けてきた仕事の虫。これからも林と「なぜサリン事件は起きたのか」と考えていくつもりでいる。

 ホシに惚れ込むにせよ、惚れ込まれるにせよ、結局のところそれは仕事への情熱に帰するものであろう。犯罪処理の如(ごと)き事務的な向き合い方で、贖罪(しょくざい)意識は引き出せまい。「プロとは何か」。刑務所に足を運ぶ元刑事は、そう問うているように思える。=敬称・呼称略(いぐち ふみひこ)

不思議の国のバード


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英語の勉強を兼ねて購入。


近代の日本は
思ったより遠くの存在であるということに
遅まきながら気付かされる。


豊かさと引き換えに
失ったものは
何とおおきかったことだろう。

「日大の選手たちが練習に参加できていないというのがショックで、
いい方向に行っていない。
大人たちが言えないことをはっきりと言って、収束に向かっていってほしい」

【関学大「再回答書」会見詳報(5)】被害選手の父「日大選手に寛大な処分求めたい」 嘆願書を募る考え(2/2ページ) - 産経ニュース


スポーツの指導者の資質とは何か、
を考える契機が
このような事件であったことが
とてつもなく、哀しい。


正義を主張しなければ
何も変わらないが、
正義だけの主張で加害者を一方的断罪する行為は
今までに築き上げたものを
破壊するだけで、何も生み出しはしない


求めるべき解は、何処にあるのか、
その答えを導くための議論であってほしい、
と心より思う



問題の収束がおぼつかなくなっているなか、
日大のプレーヤーを気遣う被害者家族の言葉に
希望を感じる



願わくば、全てのプレイヤーが
流した汗と涙が、無に帰さない結末を

ピート・キャロルへの手紙9

試合は、ジェイクがロング・スナッパーとして
参加したキックによる得点が
最後のスコアとなった。
49-31でUSCが、ウエスト・ミシンガン大に勝利した。


試合終了をつげるホイッスルが鳴り、
ジェィクはチームメートから再び祝福された。
「グッド・ジョブ、ジェイク」
チームメートから、肩を叩かれ、
握手を求められた。
ジェィクは、2年間の努力が報われたと思った。


「ジェイク・オルソン選手、
 インタビューをお願いしてもいいですか。」


幸せをかみしめ、サイドラインから
引き上げようとしたジェイクに
インタビューア達が訪れた


「今日、NCAA史上、初めて盲目のプレーヤーとして
 試合に出場したジェイク・オルソン選手です。
 今のお気持ちをお聞かせください。」

インタビューアの声が、スタジアムに
設置されている複数のスピーカーから流された。
その言葉に
喧噪に包まれていたコロシアムが、一気に静まった。
ブライアンとシンディは、フィールドで
受け答えをしているジェィクの居場所を目で追った。


ジェイクのインタビューが始まった。
「僕を支えてくれたチームメートに、
 そしてチャレンジする機会を
 与えてくれたヘッド・コーチに感謝します。」


観客席から歓声があがった。


「僕は12歳で光を失いました。
 でも、不幸ではありませんでした。
 みんなが僕を助けてくれました。
 

 ケベックは、盲いた僕の目のかわりとなって、
 僕の望むところへと導いてくれました。
 私にとって彼は、ただの盲導犬ではありません。
 僕自身の分身といってもいい存在です。


 妹のエマは、僕の学友であり、最高の妹です。
 彼女との二人三脚で、僕は学問において
 自分の世界を広げることができました。


 今年になって、かつてクリス・オダウド選手の
 つけていた番号61を戴きました。
 チームでは、ヘッドコーチのクレイ・ヘルトン、
 ホルダーのワイアット・シュミット、
 キッカーのチュース・マグラスを始め
 多くの選手が自分を支えてくれました。


 家では、父が僕の練習に付き合ってくれました。
 僕は多くのことにチャレンジしてきましたが
 本当にたくさんの人の善意に
 支えられてきました。
 そして、そのチャレンジすることの大事さを
 教えてくれたのは8年前、
 USCの監督だったピート・キャロル氏でした。
 彼にも感謝の言葉を届けたいです。
 
 そして・・・・・・。」

ジェイクはなにかを逡巡するかのように言葉が途絶えた。

スタンドでジェィクを見守っていたシンディは、
病魔に侵される体を
ジェイクに与えたことを悔いていた。
母親のせいではない、と諭されることで、
気持ちが和らぐこともあったが、
病気を告げられて以来、
その事実はシンディの胸に重石のように
のし掛かり、彼女の心を常に苛んでいた。


盲目の選手としてNCAA史上初めてプレーして、
ハンディキャップを乗り越え、
大観衆の前でインタビューを受けるという現実を
目の前にしても、それは変わることがなかった。


シンディとブライアンがジェイクの一挙手一投足を
見守り続けていたスタンドが俄にざわめき始めた。


マイクの故障か?と人々が囁き始めたころ
ジェイクが言葉をつなげた。
その言葉にシンディは胸を射抜かれた。



「・・・・・・母さん、
 ・・・・・・僕を生んでくれてありがとう。」


スタンドから
ひときわ大きい拍手が起こった。
スタジアム全体をやさしい空気が
満たした。
シンディの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
もう、ジェイクを見ることが
できなくなった。
彼女は嗚咽をもらしながら
ブライアンの胸に顔を埋めた。


夫は、震える妻の髪をなでながら
やさしくなでながら呟いた。


「家族に、めぐまれたね、僕たち」


シンディは、声なき声で頷いた。
 

ピート・キャロルへの手紙8

ゴール前3ヤードにボールが置きながら
レフリーがジェイクに囁いた。
「ボールはここにあるからね」
「ありがとう」
審判からの善意の言葉に礼を述べたジェイクは
腰をかがめて両手を地面につけた。
フットボール・ポジションを取りながら
右手でボールを探りあてた。


スタンドのジェイク・コールは収まったが
大きな歓声が鳴り響いていた。
USCの8人の選手は、ジェイクの横に並んでプレーに備えた。
ジェイクの7ヤード後方では、ホルダーのシュミットが
片膝をついてジェイクからのボールを
受け止める姿勢をとった。
キッカーのチュース・マグラスは、
キックの助走に必要な距離を確保するため
シュミットの位置からさらに3ヤードほど
後ろに下がった位置についた。


エスタン・ミシガン大の選手の11人も
ゴール前1ヤード付近で構えた。
しかし、彼らはこれから行われるキックを
止めようとはしていなかった。
すでに彼らは全力を尽くして戦ったこの試合が
敗北することを悟っていた。
点差に関係なく時間のあるかぎり、
力を振り絞ることを常としている彼らだが
ジェイクのプレーが成功することを祈っていた。


ジェイクが右手の指をボールの縫い目にかけて静止した。
レフリーがその様子を確認して笛を吹いた。
「レディ・フォー・プレー」


観客席では、ジェイクの両親、ブライアンとシンディが
フィールドを見つめていた。



シュミットが「セット、ダウン」のコールから
1秒の間をおいてスナップの
タイミングカウントを始めた。
「ハット、ハット・・・・・・」
ジェイクは、「ハット」の声が届くや否や
右手で握ったボールを股間から後方に放った。
ジェイクは緊張から手首のスナップを
いつもよりわずかに強く効かせてしまった。
そのためボールの回転が多く、ボールがやや右にそれた。


予想より右にずれたジェイクのロング・スナップを
シュミットは、何事もなかったように
キャッチして、コンマ数秒で芝生のキックポイントに
ボールを右手でホールドした。
チュース・マグラスは、いつもと同じように
右足で、シュミットがホールドしたボールを蹴り抜いた。
45度の角度で上昇したボールは
ゴールライン付近で対峙した両軍の選手の上を越え、
2本のゴールポストの間を通過し
ネットに突き刺さった。
ポストの下にいたバックジャッジと
フィールドジャッジの二人の審判が両手を高くあげた。


「キック グッド USC!」
キックの成功を告げるアナウスがコロシアムに流れた。
ジェイクは自分のロング・スナップが
無事にシュミットに届いたことを知った。
彼は、喜ぶより緊張から解放されたことで安堵感に満たされた。
全ての観客が立ちあがって拍手した。
シンディも飛び跳ねながら手をたたいて喜び
ブライアンに抱きついた。



USCが、このゲームの最後に追加した得点は
1点に過ぎないが、貴重な追加点であった。
盲目のプレーヤーがNCAA史上初めてのプレーしたことを
刻む得点となった。

ピート・キャロルへの手紙7

ジェイク・オルソンは、
同じ学年のホルダー、
シュミットの肩に触れながら走り、
喜びをかみしめていた。
入部が許された2年前、彼はクレイにこう言われた。
「入部は許可する。ただし、
 このチームは実力のある者しか出場させない」
ジェイクは、コーチの言葉を胸に刻み、
2年間努力を続けた。
バーベルを持ち上げ、毎日10kmを走った。
体重を増やし、他の選手と同じような体格を少しずつ作っていた。
そして、彼が試合で行う唯一のプレー、
ロング・スナップを毎日練習した。


四つんばいになり、ボールを股間を通して
約7ヤード後方へ投げるロング・スナップは
フィールド・ゴールで3点を狙う場合か
タッチダウンの後のコンバージョンで
キックをチョイスした時に行われる。


アメフトで一試合で行われるプレーは
オフェンスとディフェンス、その他を合わせて
百プレーを超えるが
キックは十回にも満たないことが多い。
しかし、どのチームもキックのために
専門のスペシャリストの選手を用意している。
ジェイクは、キックプレーのロング・スナップ専門の選手として
試合の出場を目指した。


ジェイクは、毎日練習したが
彼のポジションには、優れたプレーヤーが何人もいた。
入学した年と翌年はユニフォームすら、もらえなかった。
それでも、彼はあきらめなかった。
ジェイクは自分のロング・スナップが、
他のプレーヤーに劣っている理由が分からなかった。
なぜなら、自分の目で確かめる術がないからである。
普通の選手ならば、ビデオにとって確認し
簡単に修正できることが、彼にはできなかった。
しかし、チームメートが彼を助けた。


球の高低、左右について、
シュミットは都度、修正を要求した。
回転の加減一つボールの軌道は大きく変わる。
やがて彼の放つボールは、全くぶれなくなった。
三年目のシーズンを迎える夏、
彼は監督からダークレッドに
黄色で61を染め抜いたユニフォームを渡された。


それまでスタンドからチームを応援していたジェイクは
やっとサイドラインに立つことが許された。
チーム・メートは彼を祝福した。
誰も彼が61番をつけているのを贔屓だとは思わなかった。
全米のどんなロング・ナスッパーと比べても
遜色ない域まで達しているのを彼らは知っていた。

ピート・キャロルへの手紙6


2017年9月最初の土曜日
ロサンゼルス・コロシアム
快晴の天気だったが、
クレイ・ヘルトンは、苦虫を潰したような顔をしていた。
「なかなか、粘るな」


2017年シーズン開幕戦、
ローズボウルを目指すUSCトロージャンズとしては
何がなんでも落とせない試合だった。
3Qまでのスコアは21-21のタイ。
クレイ・ヘルトン率いるUSCは
エスタンミシガン大学ブロンコス相手に苦戦していた。



4Qに入ってトロージャンズは3つのTDで21点を加えたが
ブロンコスも10点を返していた。
残り4分を切ってスコアは42-31の11点差。
USC陣20ヤードからのウエスタン・ミシガン大学の攻撃。
11点のリードをされているものの展開次第では
逆転の目もあるウエスタン・ミシガン大学
まだ、戦意を失っていなかった。
「しぶとい相手だ」クレイは、ひとりごちた後、
61番の選手に準備を命じた。



セカンド・ダウンの攻撃、
エスタン・ミシガン大QBケイシュン・ワトソンは、
ジョー・ワシンクをねらってパスを放った。
楕円のボールは回転しながら、ウエスタン・ミシガン大の
レーシーバーが走り込んでいるコースへ
正確に投げ込まれていた、
しかし、そのパスをUSCのディフェンス・バック、
マーべリック・テルが遮り、その手に収めた。


ターン・オーバー、
攻守が一転して変わる。
コロシアム全体が揺れるような歓声に包まれる。
マーベリックは、手に納めたボールを胸に抱えて
ゴール・ラインを目指した。
エスタン・ミシガン大学の11人の選手は
全力で彼を追った。だが、誰も彼を止められなかった。



テルは、エンドゾーンに飛び込んだ。
7人いる審判のうちテルの近くにいたレフリーと
ライン・ジャッジが両手を上にかざした。
タッチダウン、USC」ー観客の歓声を上回る音量で
アナウスが鳴り響いた。
USCは6点を追加した。
「よし」
USCのヘッド・コーチ、クレイは拳を握った。
残り3分で17点差ー試合の勝利を確信した。


彼は、大声で叫んだ
「61番、準備はできてるか!お前のプレーを見せてやれ!」
そして、クレイは、
フィールドを挟んだブロンコスのヘッドコーチ、
ティム・レスターを探した。
レスターはクレイトンの視線に気が付き
小さく頷いた。


61番は、右手をワイアット・シュミット左肩において
フィールドへ小走りで足を踏み入れた。
そのとき、USCのスタンドからコールが始まった。
「ジェイク、ジェィク、ジェイク」
タッチダウンの余韻が残るスタンドから
61番の選手を呼ぶ声が次第に大きくなった。


PAC12の公式戦で初めて、否、NCAAのゲームで
初めて盲目の選手がプレーする瞬間が訪れた。